さて、2003年8月末のある暑い日、筆者はお医者さんに行きました。持病の○(言いたくない)が悪化したのです。待合室で読むために持っていったのは、講談社現代新書の堀井令以知著「語源をつきとめる」という本です。堀井先生は白髪で真っ白い眉の老紳士。 文字通り斯界の白眉です。
パラリとめくったのが108ページ。
ヒル(蛭)の語源でした。咬まれるとヒリヒリするからヒルだそうです。いいですねえ。そうかそうか。植物のヒル(蒜)も同じ語源で、刺激がつよいので食べるとヒリヒリするからだと説明されています。
蚕も蛾も蝶も各地でヒルと呼ばれたそうです。古代の文献に、蝶になる前の毛虫も、皮膚をヒリヒリ刺激するのでヒヒルと呼ぶと書かれているとのこと。古語ヒヒラクはヒリヒリ痛む意味ですと。
「物類称呼」という本には、蝶のことをテゴナと呼んでいたと記されていて、この語と蝶の毛虫のヒヒルが関係しているそうです。 なるほどなるほど。
では次に110ページ。
「青森県では、蝶をテガラ、テンガラという」
思いがけない場所でテンカラに遭遇しました。古語は方言の中に逃げ込んで生き延びるものですが、テンカラという語がまだこの世に存在していたとは、生きた化石を発見したような驚きです。
いままで何人もの語源マニアから追い回わされて、そのたびにヒラリと身をかわして逃げ延びていたテンカラ蝶が、ついに青森県で発見されたことになります。
さっそくJUNK堂に行って調べてみました。たしかに、青森県南部でテンカラ・テングラ。岩手県八戸でテンカラコ。秋田県鹿角郡でテンカコ、という地方名が記載されています。複数の方言辞典で確認しました。
秋田県角館の佐竹藩士、吉成市左衛門は1838年に、釣行記「萬之覚」に「テンガラにて鱒の子・・」と記録しています。これがテンカラという言葉のデビューであり、その周辺では、現在でも蝶のことをテンガラと呼んでいることになります。
「日本釣り紀行」の筆者小口修平さんは、直接杉本医師に問い合わせをして返書を得ていました。
「木曽におけるテンカラの呼称は、どこから出たものかわからない。私見としては古くから東北に”てんから釣り”という言い方があるそうだが、木曽は昔、皇室の御料林があって、その山仕事に秋田方面から人が来て、それらの人がこの釣りをテンカラ釣りとして伝えたのではないだろうか。したがって東北方面を調べたら如何でしょうか」
杉本医師にテンカラを伝授した土地の古老も、その言葉の意味を知らなかったということです。木曽の言葉ではなく、東北にルーツがあったからでしょう。
蝶々の古語はテフテフだと、誰もが信じこんで、ほかの語の存在を予測してなかったわけではありません。
丸谷才一さんはエッセイ「菜の葉に飽いたら桜にとまれ」(文芸春秋:男もの女もの)の中で、王朝和歌に蝶々が登場しないことを論じて、今昔物語のカハヒラコが蝶々だと語り、日本各地の蝶の方言を14ほど列記しています。しかしこの中にテンカラは登場しません。いちばん近いのは岩手のテビラコでしょうか。
沖縄や鹿児島では蝶のことをハベルとかハビラと呼ぶそうです。ハは羽で、ビラは花びらのビラ。ぴらぴら飛ぶ感じをビラで表現したもの。テンガラにまでは及びませんでした。
堀井先生が書かれた文章はおおよそ次のような内容です。
1:「物類称呼」に蝶のことがテゴナとして記されている。
2:このテゴナと蝶になる前の毛虫ヒヒルは関係している。
3:青森県で蝶のことをテガラ・テンガラというが、この語はヒヒルと同系列であり、大きく変化した形である。
蝶の方言として、かつて「空高く飛ぶヒヒル」という意味のタカヒヒルという形があった。それが変化してタカヒルやタカエロになり、各地でテコナ・テビラコ・テンガラコと変化していった。
大井川上流ではカーブリと呼ばれ、これは古く「新撰字鏡」に記されるカハビラコに結びつく。ハビルもカーブリも、もともとヒヒルが源流である。女性の髪型にチョウチョウがあり、丸まげの根本につける装飾用の布きれをテガラという。これも蝶のことである。万葉集に「真間の手児名」とあるが、このテゴナも蝶にちなんだ言葉である。・・・
結論すると、高く飛ぶ毛虫ヒヒルから変化して出来たテンカラという語は蝶をあらわすことになります。原型をとどめないほど大きく変化しているので気が付きにくいのですね。
ふと思いついたのですけど、テンカラを幼児語か女房言葉で重ねるとテンテンになります。これがその後、擬態語の要素を深めてテフテフとなり、さらにチョウチョと変化して現代に至ったのかも知れません。
また別の資料で知りましたが、1844年発行の「重修本草綱目啓蒙」に、蝶のことを古歌で”からてふ”と呼んだことが記されているそうです。”からてふ”の”から”は、唐の国の”から”ではなく、ヒヒルのテンガラから派生した”から”でしょう。
からてふ→てふから→てんから と倒置して音便するのは自然の成り行き。
順序的には、てんから→からてふ
もアリだと思いますが、てんからという言葉のリズムと落ち着きの良さは秀逸です。
ともかくテンカラという、手がかりすら見つからなかったナゾの4文字に意味があることが判りました。
西洋でフライ(飛ぶ虫・とくにハエ)と呼ぶところ、たまたま蝶々と呼んだ地方があったのです。これは、テンカラの釣り方を知っている人にとっては「ああ、なるほどね」と感じられるネーミングだと思われます。
佐藤垢石は名著「魚の釣り方」の鱒の毛バリ釣りで、”蝶が水の表面を叩く様な要領で、竿を上下に叩く。この場合、道糸を水面に落とさず鈎だけを水面に曳くのである。・・中略・・蝶が逃げたかのやうに、一たん竿を上げ、続けざまにもう一度餌叉は毛鈎で水面を叩いて揚げようとするとき、鱒が水上に跳ね上がって飛びつく”と紹介しています。古いテンカラの釣り方は、このように、毛バリをちょんちょんと、蝶が水面に触れるように操作して誘うものだったようです。(ただし杉本博士は水中でのアワセ切れが少ないウェット派)
当時の、短く重く太い馬糸(バス)と、ゼンマイの棉毛などあり合わせの材料で使った毛バリでは、フライのように高いイミテーション性を与えることはできません。
羽虫の形骸ではなく、生命の動きの模写。 日本の毛バリは、その動きで誘う方向に進んだのです。
ありふれた竹竿を操作して、粗末な毛バリを本物の蝶のように見せるワザ。秋田地方では当時、竹竿以外に、乾燥した葦にウルシを塗った竿も流行していたそうです。
現在とは比べるべきもない原初的な道具立てで、自由に毛バリを飛ばすことは難しかったでしょう。羽虫を装ってちょんちょんと操作する、この独特の釣りに、東北の釣人は蝶のイメージを見たのではないでしょうか。
江戸時代、テンカラ=蝶が当然だった地方では、別の呼び名に言い換えたりしません。蝶釣りのことはテンカラとしか呼びようがなかったのです。しかしその後100年がたって、蝶はテンカラからテフテフに変態しました。テンカラはいつのまにか誰も知らない過去の言葉になったのです。
ヒヒルも蝶のことです。蛾も同じくヒヒルです。フランス語で蝶と蛾を区別しないように、古方言でもテンカラは蝶と蛾の両方をあらわします。
筆者のイナカ大分県では、蛾のことをヒイロと呼んでいました。これが、蛾の、飛んで火に入るオバカな性格も手伝って”火入る”という漢字表記になり、”火取り虫””火虫”と変化しました。さらに脱皮を繰り返した結果、現代では中国語をルーツとする”蛾”になってしまいました。
今となってはヒイロという言葉を知る人も少なく、ヒが火ではなく、ヒリヒリのことだとは想像もできません。もうあと一世代が過ぎれば、ヒイロも古語辞典の中で冬眠することになるでしょう。
渓流魚を釣るなら、蝶々よりもカゲロウの方が相応しいような気がします。
あちらこちらで、カゲロウのことも昔はテンカラと呼んでいたという話を聞くことがあって、いろいろと調べてみるのですが、明文化された証拠が見つかりません。
カゲロウは蜻蛉と書くように、トンボ(蜻蛉)の仲間と目されていましたが、ごくおおざっぱに、羽虫として、蝶や蛾と同じく、テンカラと呼ばれることがあったようです。たしかに、ヒラヒラとして柔らかい飛び方は、”飛ぶ棒”よりも蝶に近い印象を受けます。
カゲロウという語は、薄いハネが陽に透けてカガヤクさまから来た、かなり古い言葉で、東北地方にはダンプリという言葉が残されています。少しだけテンカラに近い感じはありますよね?
また、代表的なトラウトのエサにカディスがあります。日本語では黒カワムシ。中流から上流まで、どこにでもいる一般的なエサで、ほかの多くの川虫がヤゴ型なのに、クロカワはイモ虫型なのが特徴です。水中の小石のウラに糸をだして巣をつくり、成長するとヒゲナガトビケラになります。白い柔らかな羽根をもった、ややカマキリに似た二等辺三角形の羽虫です。
これを栃木県湯川あたりでは”ゴロ蝶”と呼ぶそうです。別の地方では大蝶と呼ばれていました。このトビケラくんも蝶の名が付く以上、テンカラと呼ばれる可能性があったと思われます。
2016年6月。NHKテレビで、京都の小料理屋の女将が鴨川で釣りをする番組が放映された。ノベ竿に玉ウキを付け、トビケラの成虫をエサにしてハエを釣るのだが、この釣りを「蝶流し」と呼ぶとの事だ。水面で羽根を広げた姿が蝶に見えるからだという。
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蝶鈎!?それともあぐらのテンクラから発生? 語源説の
ひとつ、アユのテンカラと蝶々のカンケイについては コチラから
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