ナゾの言葉「テンカラ」 捕捉さる!

 どんな釣りをしている人でもテンカラの名前くらいは耳にしたことがあると思います。
 ごく大ざっぱに言うと、テンカラとは和風のフライフィッシングのことです。リールは使いません。粗末な道具で、必要充分な成果をあげる職漁師の釣りというイメージがあります。

 テンカラは、釣りエッセイスト山本素石によって広く知られるようになりました。素石は昭和40年頃、当時の日本を代表する毛バリ師、木曽の開業医杉本秀樹さんからテンカラを習ったそうです。

  杉本医師のテンカラ釣りを紹介した雑誌は、いくつも全国出版されていたので、言葉自体は、すでに世の中に知られていたことになります。
  その杉本医師は昭和32年に土地の古老からテンカラを習ったとされます。テンカラはそれまで、トバシとかタタキと呼ばれるのが一般的でした。素石の先達である佐藤垢石までは叩きと呼んでいたのです。

 テンカラという呼称が一般的になる前、各地には、チョンチョン釣り、毛釣り、バケ、すっ飛ばし、羽根流し、走らかし、シモリ釣り、タイコ釣りなど、さまざまだけど明快に、その特徴をあらわす呼び名が残されていました。
タイコ釣りもチョンチョン釣りも太鼓のように上から水面をたたく釣りだったのでしょう。
 ところがこれらの呼称は、なまじ具体的なイメージを伴うだけに守備範囲が狭すぎるという弱点があったようです。

 テンカラにはいまだ特定の意味が見つかっていません。
毛バリさえ使っていればどんな釣りだろうとテンカラと呼んでしまう包容力がテンカラを広め、逆に、特定の意味を持たなかったことでその起源が不明になったのではないでしょうか。
 木曽での呼び名が、素石によって一気に標準語に成り上がったものの、今となってはその本来の意味が判らないのです。

  毛バリが文献に登場するのは1678年(延宝6年)に書かれた「京雀後追」だとされます。テンカラという言葉は1838年(天保9年)になって初めて、羽後(現在の秋田県)角館藩士の釣行記に登場するとのこと。この時代の言葉がヒントになるかもしれません。

テンカラの語源
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とりあえず、既存のいろいろな説をご紹介
天から降るから

毛バリを流すのではなく、上から降らせるので「天から毛バリ」。または「天からカラバリ」という説。助詞である「から」が主役なのがなんだか不自然です。

 

お手柄

テンカラは、各地でテカラ・テガラ・テンガラなどと呼ばれていました。このテガラとは手柄のことらしいです。エサ釣りでさえ難しいのに、もし毛バリで釣れたらそれは確かにお手柄だ。手柄をベースに、テンガラ、テンカラと変化していったという説です。

 

10colourほか

テンカラー。テンカラ釣りにセオリーはなく、釣り方はかなり自由です。それで10人10色だからテンカラー。語源の追求に行き詰まった山本素石(ツチノコの人)がヤブレカブレで唱えた説です。てんから釣れない。てんでダメ、カラっきし釣れないからテンカラと呼ぶ人もいます。

毛バリを追って出てきたヤマメは、くわえた瞬間に食べ物ではないと判って吐き出します。一瞬だけくわえるのを目で見てアワセをくれるのは至難のワザ。それで10回ヤマメが出てもタイミングが合わず全部カラ振り。テン回カラ振り→テンカラという脱力系の説も。

 

唐伝来だから

山梨県甲州に印伝(インデン)という、鹿のナメシ皮に漆で点々模様をつけた革細工があります。メーカーさんの説明書に、この技法は印度から伝わったので印伝と呼ぶとありました。おんなじ理屈で、唐から伝わった釣法だから伝唐(デンカラ)。唐から伝わったのは他にもたくさんありますから、釣りだけを伝唐と呼ぶ理由がありません。

ちなみに英語でindentにはギザギザをつける・印を押す・ノッチ・くぼみ、といった意味があるので、私としてはこの印伝の由来そのものがアヤシく、語源は英語かその周辺の言語にあると思います。


鍛冶屋のリズム

かくまつとむさんが小学館発行の「竿をかついで日本を歩く」で発表した説。鍛冶屋さんが槌を振るリズムをテンカラテンカラと表現することがあったそうです。テンカラ釣りで竿を振るリズムが鍛冶屋と同じだからテンカラになったのでないか?と、おっしゃっています。

 その178ページ
”・・杳として知れないのは、テンカラという4文字に潜む意味だ。”

 

ケンケン遊び

江戸時代に武士のたしなみとして片足跳びがあったそうで、現代でも「ケンケン跳び」という子供の遊びとなって伝わっています。この遊びが、飛騨や加賀地方でチンガラとかシンカラと呼ばれていたといいます。釣師が渓流の岩のあいだをぴょんぴょんと釣り上がっていく姿が、この遊びに似ていることからチンガラ釣りと呼ばれるようになり、これがテンカラへと変化していったという説。

この釣りの一番の特徴である毛バリを飛ばすことが名前の由来になっていないのが弱点ですね。片足ケンケンでぴょんぴょんと岩の上を跳びまわるようなアブナイ釣師はいません。岩を跳ぶのは跳ぶしかほかに方法がないからで、それは毛バリでもエサ釣りでも同じですから、毛バリ釣りだけをテンカラと呼ぶ理由が見つかりません。

 

鮎のテンガラから

江戸時代、ヤマメのテンカラ釣りよりも前に、北陸加賀藩の武士の間でアユの掛け釣りと、毛バリでのアユ釣りが流行していたそうです。このアユの引っかけ釣りはテンカラとかテンガラと呼ばれ、昭和30年頃まで続いたといいます。同じ魚に対してふたつの釣法が同時平行で行われていたので、いつしか混同してテンカラが毛バリをあらわすようになり、さらに守備範囲を広げて、毛バリを使ったヤマメ釣りもテンカラと呼ばれることになったのではないか、と言われています。
興味深い説ですが、これはルーツであって、テンカラの言葉の意味の説明にはなっていません。消化不良。

ではなぜアユの引っかけ釣りのことをテンカラと呼んだのでしょう?この疑問に対して、「天」は唐天竺の天で「唐」はガラ引き。テンカラ(天唐)とは中国伝来のガラ引きである、という説明が用意されています。しかしそれには、誰にでも思いつきそうな漁法であるガラ引きが、天竺から伝わってきた証明が必要です。そもそもガラ引きと引っかけ釣りは同じ釣法なのでしょうか。もしガラ引きが、いくつものサザエの貝殻を引いて魚を追い込む漁法のことなら、そのガラは貝殻のガラのはずです。もしくはガレキから転じたガラであって、唐に結びつけるのは、いささか強引かも。

詳しくはコチラ 

諸説フンプンの状況をさらに混沌とさせるべく新説をご紹介。
天然唐松 平成14年3月発行の廣済堂出版「別冊フィッシング第74号 テンカラ倶楽部vol3」に目からウロコの新説が紹介されました。スポニチAPCの若林茂さんが書かれた「嗚呼!甲州黒森毛バリ」という文章によると、
山梨県の黒森毛バリは、テンカラのオリジナルとなった流派だそうです。竿は前後に振らず、上下させるタワーキャストが基本だといいます。
その伝承者、藤原五郎名人(平成15年で79歳)はこう語りました。(管理人が勝手に意訳して紹介)

「ワシらが若かった時分は竹竿なんぞ使わなんだ。アレでも一日振るには重すぎるんじゃ。それでは何を使うかというと唐松の枝じゃ。日頃から心がけて、カラカラに乾いてヒュンと伸びた唐松の枝を探しておく。これより軽い材料はないからな。二間の枝でも手元の径は一寸くらいだで毛バリの竿には持ってこいじゃ」

カラマツ竿を使うのが黒森毛バリの源流であり、天然のカラマツを使うことから、この釣りを「テンカラ釣り」と称したというのです。画期的な新説です。推理や伝承ではなく、本人が言っているのが強みです。ひとつだけ不自然な点があるとすれば、山の中で周囲にカラ松はいくらもあるでしょうに、なぜわざわざ天然と称する必要があったのでしょうか。

 

唐・天竺

 これもナカナカの新説!
ニュージーランド在住のフライマン斉藤完治さんが、つり人社のFLYFISHER誌89号(2001年6月発行)「釣り師の言い訳」で発表した説です。
斉藤さんが帰国したときに、神田の古本屋で偶然入手した手書きの釣り日記「輝額庵日々」に、毛バリは南蛮から持ち込まれたもので「唐天竺釣り」にて使用する、とあったそうです。この本は1785年に書かれているので江戸時代の後期にあたります。

天明七年葉月晦日のこと。田村清鱗という稲葉家(大分県臼杵藩)に仕える釣人が、かねて伝え聞いていた蝿頭(毛バリ)を伊丹屋から入手しました。ひとつは金波羅弾(コンパラダン)で、もうひとつは茶乃美瑠餡(チャノミルアン?)と呼ばれていました。とにかくよく釣れると評判の毛バリだったらしいです。コンパラダンなら今でもポピュラーな種類のフライです。日記「輝額庵日々」には「ある高知の?(虫食いで欠損)つくりしものにて、蓑毛なく、鹿毛を扇に立て、尾の付きたる、三分ばかりのちひさきもの」と書かれていました。伊丹屋は田村くんに、ヒソヒソ声で「この蝿頭は南蛮渡来の品物、唐天竺釣りで使うべし」と伝えたといいます。

すでに江戸時代(18世紀後半)、外国人が持ち込んだフライが評判を呼んでいた。それは高知の誰かさんがコピーできるくらいまで広まると同時に、唐天竺釣りという言葉も広まっていった。このカラテンジクが倒置してテンカラになったと。

素晴らしい!

角館藩士の釣行記に、テンガラが登場するのが1838年ですから、時代的にも合っています。ムリヤリ欠点を探すとすれば、テンカラが各地で、テカラ、テガラと様々なバリエーションをもって呼ばれたということです。
  ”唐天竺釣り”という明確な意味を持った言葉を音に乗せて伝播するのに、からてん→唐ん手といったタグイの、意味を主体にした変化になっていません。からてん→テカラ、テガラでは、釣法ではなく、意味のない音だけが伝わったような印象を受けます。

 



大発見!謎の言葉テンカラとは蝶々のことだった

 さて、2003年8月末のある暑い日、筆者はお医者さんに行きました。持病の○(言いたくない)が悪化したのです。待合室で読むために持っていったのは、講談社現代新書の堀井令以知著「語源をつきとめる」という本です。堀井先生は白髪で真っ白い眉の老紳士。 文字通り斯界の白眉です。
 
 パラリとめくったのが108ページ。

 ヒル(蛭)の語源でした。咬まれるとヒリヒリするからヒルだそうです。いいですねえ。そうかそうか。植物のヒル(蒜)も同じ語源で、刺激がつよいので食べるとヒリヒリするからだと説明されています。
  蚕も蛾も蝶も各地でヒルと呼ばれたそうです。古代の文献に、蝶になる前の毛虫も、皮膚をヒリヒリ刺激するのでヒヒルと呼ぶと書かれているとのこと。古語ヒヒラクはヒリヒリ痛む意味ですと。
「物類称呼」という本には、蝶のことをテゴナと呼んでいたと記されていて、この語と蝶の毛虫のヒヒルが関係しているそうです。 なるほどなるほど。

 では次に110ページ。

「青森県では、蝶をテガラ、テンガラという」

 思いがけない場所でテンカラに遭遇しました。古語は方言の中に逃げ込んで生き延びるものですが、テンカラという語がまだこの世に存在していたとは、生きた化石を発見したような驚きです。
 
 いままで何人もの語源マニアから追い回わされて、そのたびにヒラリと身をかわして逃げ延びていたテンカラ蝶が、ついに青森県で発見されたことになります。
さっそくJUNK堂に行って調べてみました。たしかに、青森県南部でテンカラ・テングラ。岩手県八戸でテンカラコ。秋田県鹿角郡でテンカコ、という地方名が記載されています。複数の方言辞典で確認しました。

秋田県角館の佐竹藩士、吉成市左衛門は1838年に、釣行記「萬之覚」に「テンガラにて鱒の子・・」と記録しています。これがテンカラという言葉のデビューであり、その周辺では、現在でも蝶のことをテンガラと呼んでいることになります。


 「日本釣り紀行」の筆者小口修平さんは、直接杉本医師に問い合わせをして返書を得ていました。
 「木曽におけるテンカラの呼称は、どこから出たものかわからない。私見としては古くから東北に”てんから釣り”という言い方があるそうだが、木曽は昔、皇室の御料林があって、その山仕事に秋田方面から人が来て、それらの人がこの釣りをテンカラ釣りとして伝えたのではないだろうか。したがって東北方面を調べたら如何でしょうか」
 杉本医師にテンカラを伝授した土地の古老も、その言葉の意味を知らなかったということです。木曽の言葉ではなく、東北にルーツがあったからでしょう。

 蝶々の古語はテフテフだと、誰もが信じこんで、ほかの語の存在を予測してなかったわけではありません。
 丸谷才一さんはエッセイ「菜の葉に飽いたら桜にとまれ」(文芸春秋:男もの女もの)の中で、王朝和歌に蝶々が登場しないことを論じて、今昔物語のカハヒラコが蝶々だと語り、日本各地の蝶の方言を14ほど列記しています。しかしこの中にテンカラは登場しません。いちばん近いのは岩手のテビラコでしょうか。
沖縄や鹿児島では蝶のことをハベルとかハビラと呼ぶそうです。ハは羽で、ビラは花びらのビラ。ぴらぴら飛ぶ感じをビラで表現したもの。テンガラにまでは及びませんでした。

 堀井先生が書かれた文章はおおよそ次のような内容です。

 1:「物類称呼」に蝶のことがテゴナとして記されている。
 2:このテゴナと蝶になる前の毛虫ヒヒルは関係している。
 3:青森県で蝶のことをテガラ・テンガラというが、この語はヒヒルと同系列であり、大きく変化した形である。

 蝶の方言として、かつて「空高く飛ぶヒヒル」という意味のタカヒヒルという形があった。それが変化してタカヒルやタカエロになり、各地でテコナ・テビラコ・テンガラコと変化していった。
 大井川上流ではカーブリと呼ばれ、これは古く「新撰字鏡」に記されるカハビラコに結びつく。ハビルもカーブリも、もともとヒヒルが源流である。女性の髪型にチョウチョウがあり、丸まげの根本につける装飾用の布きれを
テガラという。これも蝶のことである。万葉集に「真間の手児名」とあるが、このテゴナも蝶にちなんだ言葉である。・・・

 結論すると、高く飛ぶ毛虫ヒヒルから変化して出来たテンカラという語は蝶をあらわすことになります。原型をとどめないほど大きく変化しているので気が付きにくいのですね。
 ふと思いついたのですけど、テンカラを幼児語か女房言葉で重ねるとテンテンになります。これがその後、擬態語の要素を深めてテフテフとなり、さらにチョウチョと変化して現代に至ったのかも知れません。
 
 また別の資料で知りましたが、1844年発行の「重修本草綱目啓蒙」に、蝶のことを古歌で”からてふ”と呼んだことが記されているそうです。”からてふ”の”から”は、唐の国の”から”ではなく、ヒヒルのテンガラから派生した”から”でしょう。
 からてふ→てふから→てんから と倒置して音便するのは自然の成り行き。
順序的には、てんから→からてふ もアリだと思いますが、てんからという言葉のリズムと落ち着きの良さは秀逸です。

 ともかくテンカラという、手がかりすら見つからなかったナゾの4文字に意味があることが判りました。
 西洋でフライ(飛ぶ虫・とくにハエ)と呼ぶところ、たまたま蝶々と呼んだ地方があったのです。これは、テンカラの釣り方を知っている人にとっては「ああ、なるほどね」と感じられるネーミングだと思われます。

 佐藤垢石は名著「魚の釣り方」の鱒の毛バリ釣りで、”蝶が水の表面を叩く様な要領で、竿を上下に叩く。この場合、道糸を水面に落とさず鈎だけを水面に曳くのである。・・中略・・蝶が逃げたかのやうに、一たん竿を上げ、続けざまにもう一度餌叉は毛鈎で水面を叩いて揚げようとするとき、鱒が水上に跳ね上がって飛びつく”と紹介しています。古いテンカラの釣り方は、このように、毛バリをちょんちょんと、蝶が水面に触れるように操作して誘うものだったようです。(ただし杉本博士は水中でのアワセ切れが少ないウェット派)

 当時の、短く重く太い馬糸(バス)と、ゼンマイの棉毛などあり合わせの材料で使った毛バリでは、フライのように高いイミテーション性を与えることはできません。
 羽虫の形骸ではなく、生命の動きの模写。 日本の毛バリは、その動きで誘う方向に進んだのです。
 ありふれた竹竿を操作して、粗末な毛バリを本物の蝶のように見せるワザ。秋田地方では当時、竹竿以外に、乾燥した葦にウルシを塗った竿も流行していたそうです。
 現在とは比べるべきもない原初的な道具立てで、自由に毛バリを飛ばすことは難しかったでしょう。羽虫を装ってちょんちょんと操作する、この独特の釣りに、東北の釣人は蝶のイメージを見たのではないでしょうか。

 江戸時代、テンカラ=蝶が当然だった地方では、別の呼び名に言い換えたりしません。蝶釣りのことはテンカラとしか呼びようがなかったのです。しかしその後100年がたって、蝶はテンカラからテフテフに変態しました。テンカラはいつのまにか誰も知らない過去の言葉になったのです。

 ヒヒルも蝶のことです。蛾も同じくヒヒルです。フランス語で蝶と蛾を区別しないように、古方言でもテンカラは蝶と蛾の両方をあらわします。
 筆者のイナカ大分県では、蛾のことをヒイロと呼んでいました。これが、蛾の、飛んで火に入るオバカな性格も手伝って”火入る”という漢字表記になり、”火取り虫””火虫”と変化しました。さらに脱皮を繰り返した結果、現代では中国語をルーツとする”蛾”になってしまいました。
 今となってはヒイロという言葉を知る人も少なく、ヒが火ではなく、ヒリヒリのことだとは想像もできません。もうあと一世代が過ぎれば、ヒイロも古語辞典の中で冬眠することになるでしょう。


渓流魚を釣るなら、蝶々よりもカゲロウの方が相応しいような気がします。
あちらこちらで、カゲロウのことも昔はテンカラと呼んでいたという話を聞くことがあって、いろいろと調べてみるのですが、明文化された証拠が見つかりません。
カゲロウは蜻蛉と書くように、トンボ(蜻蛉)の仲間と目されていましたが、ごくおおざっぱに、羽虫として、蝶や蛾と同じく、テンカラと呼ばれることがあったようです。たしかに、ヒラヒラとして柔らかい飛び方は、”飛ぶ棒”よりも蝶に近い印象を受けます。
カゲロウという語は、薄いハネが陽に透けてカガヤクさまから来た、かなり古い言葉で、東北地方にはダンプリという言葉が残されています。少しだけテンカラに近い感じはありますよね?

また、代表的なトラウトのエサにカディスがあります。日本語では黒カワムシ。中流から上流まで、どこにでもいる一般的なエサで、ほかの多くの川虫がヤゴ型なのに、クロカワはイモ虫型なのが特徴です。水中の小石のウラに糸をだして巣をつくり、成長するとヒゲナガトビケラになります。白い柔らかな羽根をもった、ややカマキリに似た二等辺三角形の羽虫です。
これを栃木県湯川あたりでは”ゴロ蝶”と呼ぶそうです。別の地方では大蝶と呼ばれていました。このトビケラくんも蝶の名が付く以上、テンカラと呼ばれる可能性があったと思われます。

 2016年6月。NHKテレビで、京都の小料理屋の女将が鴨川で釣りをする番組が放映された。ノベ竿に玉ウキを付け、トビケラの成虫をエサにしてハエを釣るのだが、この釣りを「蝶流し」と呼ぶとの事だ。水面で羽根を広げた姿が蝶に見えるからだという。



蝶鈎!?それともあぐらのテンクラから発生? 語源説の
ひとつ、アユのテンカラと蝶々のカンケイについてはコチラから

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2003年9月発表。引用される場合は筆者へ連絡をいただけるとチョウ嬉しいです

    −−蝶の語源について、もっと楽しくお勉強−−

蝶には華やかなイメージがあって、「蝶よ花よ」という言葉が「ちやほや」の語源だとされます。英語にも、”蝶のように華やかな日々”という意味の My buttefly days という表現があります。

蝶の古語のひとつ”カハヒラコ”のカハは、薄い皮膜状の、ヒラコはひらひら飛ぶ小さなものという意味で、”ひらひら”は古代人の発音だと”ピラピラ”に聞こえたそうな。
蝶はフランス語でパピヨン。ギリシア語ではプシュケ。そのもとはサンスクリットで「揺らぐ」という意味をあらわす”ピル”だそうです。これがpsychology=心理学の由来とのこと。
心が ”ころころと一定しない”から来ているのと同じ発想ですね。

古語ヒヒルとハベルは同じ言葉。これも古代発音だとピピルとパペルになって、同じくサンスクリットのピルがルーツになります。
イタリア語ではファルファラ。オランダ語でフリンダラ。ドイツ語でファルター。アラビア語でファラーシャ。韓国にもハベルによく似たハブという言葉が残っています。(註:ナビとかナービーという単語が一般的)
タガログ語ではパロパロ。マレー語でクプクプ。スワヒリでキペペオ。そういえば、アフリカに”フーフー”という料理があって、日本人の口にも合う美味しさだと聞きました。あまりにホットなので口でフーフーと吹いて食べることからの命名らしいです。擬音語なんてのは聞きなしですから、人種を超えて共有できるセンスなのですね。

蝶々は中国語で胡蝶。正確には虫ヘンに胡という文字でヒゲとか触角のことです。
蛾という文字もこれと同じ意味ですよ。普通に使われている、虫ヘンがつかない胡の意味は”上から覆うように大きい”です。どちらも読みは”フー”。蝶の読みはdie=ティエですから胡蝶はフーティェになります。
この蝶=ティェが、日本語の昔の読みのテフに近いですね。昔々、まだチョウチョを表す共通語がなく、あちらこちらにハベルやテゴナやテンガラやカハヒラコが舞っていたころ、胡蝶という漢語がやってきて一気に全国に繁殖したのでしょうか?

フーティェフーティエ → ティェフティェフ → テフテフ→ テオテオ →チョウチョ

いいですねえ、かなりいいです。でも”蝶”は、もともと擬態語ではなく、薄くてヒラヒラした意味を持つ葉(イェ・ヨウ)が虫と会意してできた文字です。
蝶・諜・喋・牒・鰈。中国語ではどれも同じ発音のティエ。日本語ではもちろんチョウですから、漢字と同時に渡来した名前ではあるんですね。中国はサンスクリットの通り道なのに、フーティェではヒラヒラしてないでしょ。

−−ここで問題です−−

英語でチョウチョはバタフライ(butter・fly)。
このフライすらピルから変化した語だそうな。つまりはヒラヒラと同根!おそるべしサンスクリットの実力!しかし、いったいなぜ蝶々がバターなのでしょうか?
もしこれもオノマトペなら、イギリスの蝶はバタバタと飛ぶことになります。さてみなさん宿題です。なぜ蝶々はバターフライなんでしょう。興味があったら調べてみましょうね。

答え:その昔、イギリスではバター色の黄色い蝶が一般的だったから