解禁日の釣り - 2006年 - (最終回)

 夜明け前に起き出して、まず堰堤で竿を出した。解禁日はいつも雨降りである。
雨はそう激しくなかったけどなかなか明るくならない。アタリがないまましばらく経ってやっと周囲の景色が見えるようになった。ふと気がついたら水底が見えている。昨年に比べてずいぶんと浅くなっているのだ。一番の時合を迎え、ポイントらしき場所をいくども流したけどアタリがない。一匹の釣果もないまま移動した。

 例年大物が釣れるポイントは見る影もないほど渓相が変わっていた。淵は砂で埋まってすっかり浅くなっている。砂地に魚影はなくアタリもない。いくつかの場所に竿を出しながら移動していくが最初の一匹が釣れない。先に川を下りたはずの釣師が上がってくる。

「どうでした。釣れましたか」
「あー。だめだめ。全然釣れない。昨年10月に3回も放流したのにね・・」
 どうも原種ヤマメ保存会のおじさんのようだ。
「やっぱだめですか。上がってくるのが早かったですね」
「どこから入ったんだろう。下から上がってくるのがいるんだ。こっちも上がるしかないよ」

 原種のおじさんは川を上がっていった。
ぼくはさらに下がって水深のあるポイントを見つけた。倒木が一本かぶさっていて枝が水中に没している。水流がつよく仕掛けが浮きあがり気味になるのをなんとか流し込むもののノーヒット。仕掛けの回収が難しい。
 鈎を左手に持ち、竿の弾力を利用して弓矢のように水平に飛ばす。流芯を避けて何度も送り込むけどアタリがない。落ち込みの上流から流し込んだエサは、ヤマメがいれば食うはずの場所まで届いている。
 
 あきらめて浅くて流れの少ないプールを狙うけどここもノーヒット。ほかにめぼしいポイントが見つからない。
そこに下流から釣師が上がってきた。腕には年券の腕章が巻かれ、リュックに予備竿まで背負ったベテランである。声をかけてみる。

「どうですか」
「全然ダメだ。アタリすらない。魚はいるんだろうか」
「禁漁中に3回も放流したそうですよ」
「放流はしてるのか。魚影は見えているかい」
「影も見えないですよ。まったく釣れません」
「そこはどうだい」 今、竿を出したばかりのプールを指差す。
「アタリすらありません」 やっぱここがポイントだよね。

 その釣師もあきらめきれないのか、浅いプールに何度も竿を振り込む。しかし釣れない。徹底的にいないのである。淵が埋まってしまってヤマメの居場所がないのだ。この川は20センチ級が数匹も釣れればいいという川ではない。解禁日までは誰も入れず、いったん竿をだせば夢の30オーバー、40オーバーが現実になる理想郷なのだ。その川がこのありさまである。

 もう少し下ると流木の大きな塊りが見えた。
直径30センチ、40センチの杉の木が何十本も重なって、屋根くらいの高さまで堆み上がっている。大雨のときに流されたものだ。あらためて自然の驚異を思ったが、ここなら先ほどの釣り師に荒らされてないかも知れない。
 しかし竿を出してものの数投もするうちに、ラインが枝に絡んでしまった。いろんな方向に竿先を動かしてみるが取れそうにない。しかたないのでラインを引っ張って鈎先が枝に掛かるようにする。こうすれば鈎の結び目が切れるだけで済むのだ。ラインまで手が届かないので、竿をまっすぐにして引っ張り切る。でも切れたのはチモトではなく穂先の下だった。枝から仕掛けがブラ下がっている。

 新しい仕掛けを取り付けようと、竿を置いたときにリリアンが切れていることに気がついた。昨年9月に買ったばかりの竿のリリアンが0.4号の細糸に負けてちぎれてしまったのだ。なんと脆いことだ。リリアンは回転トップと一体式だから応急修理はできない。

 平成16年に景色が一変するほどの大雨があった。それが17年の台風14号でさらに痛めつけられた。養殖場が一軒、そっくり流出するほどの水が出たのだ。濁流でぶつかり合う岩の音で建具がビリビリ振動したという。
100年か、数千年か。少なくともここ数年はヤマメ天国の川だった。しかしそこに「時」の破壊神がやってきて別の姿に変えてしまった。一度埋まった淵がよみがえることはない。石や砂が自然に減ってもとの景色を取り返すことは不可能だ。
 ぼくはひとつの時代の終りを感じていた。もうこの川に来ることはないだろう。腹立たしさにも似た感情をもって竿をたたんだ。

 山を降りたころ雨はミゾレになった。そのうちに雪になって道端の樹木が白く変わった。瀬ノ本高原は吹雪である。雪が吹き荒れて景色はただ鈍い白色。右も左も見えないまま、目の前の路面だけを見てゆっくりと走った。
 昨年は35センチをものにした。その前年には26〜28cmの型揃いでクーラーをズシリと重くしたのだ。尺超えも2本釣った。40センチ超えの大物と出会ったのはその前の年だったか。すべては記憶の中にしかない。みんな夢の中のできごとだった。

 


 

釣れない釣れないと書いたが、本当に一匹も釣れなかったワケではない。ぼくくらいの達人になると、オカズにするくらい いつでも釣ることができる。

←家で処理するのは面倒なので、ちゃんと食べやすいようにして持って帰った。本当だ。


 

みなさま、連続大河ドラマ「解禁日の釣り」を読んでいただき有り難うございました。5年にわたる連載でしたが、本年をもちまして最終回となりそうです。