仏像には僧侶たちの意識が集中する。それはキリスト教でも同じである。死んで見えない階層にいったキリストには、世界中から途切れることない思念のエネルギーが与えられ続ける。 だから彼はまだ生きている。
これは人々の心の中に生き続けるといったサギ的な話ではない。超心理学的な、世界の重層性についての話である。
杉尾博士が佐伯に来たときのことだ。真新しい畳敷きの和室に泊まった。
「昨夜、キリストが現われてね。ほらそこ、きみの座っているそこに出てきたんだ」
トンデモなことを言い出したのである。
「キリストは、あちこちの宗教画に描かれているような痩せた細面の男じゃない。赤銅色の肌をした筋肉男だ。背はあまり高くなくってガッシリしている。
和服みたいに前で合わせる着物を着て、ヨコになってしゃべるんだよ。寝そべって話すのが当時のマナーだったみたいだね」
杉尾先生は植物学と心理学の博士で、俳優の大泉晃に似た風貌をしている。(だからちょっと怪しい感じがする)。
もと戦闘機 隼のパイロットで2回墜落した。 小学生の娘さんを亡くして 、悲しみの中で悟りを開いてから、見えない世界と行き来ができるようになった。それ以来、宗教とは何かを研究している。
つい最近(2014年11月)になって、キリストがこんな男だったという復元写真がニュースで流れた。新聞に載った彼は、たしかに赤銅色のガッシリした男である。
キリストの復元像に関しては2001年にもイギリスBBCが発表している。これも浅黒くガッシリした中東の男性だった。
杉尾先生がキリストに会ったのは30年も前のことだ。
当時、研究者の間で、キリストの実像は知られていたのだろうか。もしそれまでに杉尾先生に知る機会がなかったとすると、これはでっち上げのヨタ話ではなく、本当にキリストに会った証明になるかも知れない。
|