アユのテンカラと蝶々の関係

ヤマメのテンカラ釣りよりも前に、加賀藩でアユの引っかけ釣りがテンカラと呼ばれていました。アユは毛バリでも釣れたので、いつのまにか混同されて、毛バリ釣りがテンカラと呼ばれるようになった、という説です。
紀伊の国でも周防でも同じタイプのテンカラ鈎が使われていました。新潟県北の三面川でも、サケの引っかけ釣りが、やはりテンカラと呼ばれていたとのこと。引っかけのテンカラと蝶々になにか関係があるのでしょうか?

アユの引っかけ釣りには"蝶鈎"が使われます。蝶バリとは、2本の鈎を背中合わせにした両掛鈎で、その名の通り蝶々の形をしています。使う人は少なくなりましたが、今でもアユやボラ用に現役で使用されています。太めの釣り糸の先に、この蝶鈎数本とオモリをつけ、川底を引っ張り回して、アユを引っかけます。1本鈎と違って先が底を向かないから根掛かりしにくいと聞きました。江戸の昔、蝶々がテンカラと呼ばれていた以上、蝶々の形をした鈎をテンカラ鈎と呼んでなんの不思議もありません。

ただし、加賀藩ほかで使われていたテンカラは、蝶型ではなく、鉛製の円錐型の胴に3本の鈎が付いた掛けバリですから、蝶々型の鈎だからテンカラという説明はあたりません。

三面川の鮭のテンカラについては「日本釣り紀行」第一巻(つり人社/小口修平)に、”テンカラはテンクラあるいはテングラの転化したもので、長野県地方の方言でアグラをかくことを「テンクラ」と言い、あたかも釣りバリが川床であぐらをかくようなところから来たものだろう”と書かれています。底部の太い円錐形の鉛で、鈎は底部から三方に出ていますから、たしかにアグラをかくでしょう。長野県の方言であって、新潟県でないのがやや難点なだけで、たぶんこれが正解だろうと思われます。
たまたま同じ呼び名ですが、毛バリのテンカラとは別に発生したアナロガスな言葉かと思われます。と、いうのは現在でも海でカブラを使う釣りを”テンカラ釣り”と言うからです。ナマリに鈎を仕込んだ”テンヤ”の語源が不明なのですが、どうも加賀藩のテンカラはこちら方面に伝わったようです。

上記のことを考えると、アユの引っかけ釣りと毛バリ釣りという、大きく異なる釣法の、呼び名の混同が起こったかどうかはかなり疑問です。アユとヤマメの生息域に一致する部分があるとはいえ、もし鮎のテンカラが山女テンカラのルーツなら、加賀藩でも、新潟県北の三面川でも同じく、混同から発生したことになります。木曽のテンカラも、鮎の引っ掛け釣りがルーツでしょうか。誤解で偶発したような呼び名が、遠く木曽まで伝わるとは考えられません。混同説には無理があると判ります。

トップページに戻る    テンカラの語源はコチラ