霊魂は存在するのか


  以下は1994年の朝日新聞「天声人語」から

「世の中には不思議なことがあるものだ。諸井千恵子さんの夢の話には、驚いた。
千恵子さんの夫の清二さんは、環太平洋ヨットレースに参加するために ロスアンゼルスに向かっていた。途中で、音信が途絶えた▼
「酒呑童子」という名のヨットから最後の無線連絡があったのが、 三月七日だった。ハワイのオアフ島の西北西約三千三百キロという、太平洋上である。 ロスアンゼルスに入港する予定だった四月六日を過ぎても連絡がない。 その翌日から捜索を始めたが、発見できなかった▼

五月十日ごろに、千恵子さんは夢をみたという。清二さんが自宅の食卓のそばに 座っている。「いつ帰ったの」と尋ねると、「六月七日に帰った」と言う。 「彼が言った六月七日前後が気持ちにけじめをつける時期か」と千恵子さんは覚悟する。 一方で、その日を心待ちにするようにもなった▼

そして六月七日の午後、大阪府茨城市の自宅に電報が届く。 「助けられた 16日 釜山着く 清二」という、ローマ字の電報である。涙がとまらない。 生存は難しいか、とみられていた人が、無事に帰ってくる・・・▼

医師で、登山家でもある今井通子さんが、ある患者さんの最後について本紙にこう語ったことがある。 ふつうは、心電図を見ていて心停止の段階で「ご臨終です」と言う。そう言わないうちに、 患者の妻が「ありがとうございました。いま、夫の魂が窓から出て行きました」と 言ったというのだ。▼
その直後に心停止となった。患者の妻が「実は、夫がお礼に腕時計を差し上げたいと申しております」と言う。 その瞬間、患者の腕がピッと動いた。「彼女と彼の間に普通の会話とは違う何かがないと こうは一致しないと思い、大変驚きました」と今井さんは述懐した▼

もっともらしい理由を考え出せるかも知れない。だが、人の心の動きには、 説明を超える不可思議さがある。」

 

死ぬときに見えるビジョン


 人が亡くなるとき、意識はどうなるのか。
死の瞬間には、暗いトンネルの向こうに光の世界が見えて、そこには安らぎが満ちているとされる。すでに他界していたはずの親や兄弟がいて暖かく迎えてくれるので、むしろ生き返りたくないくらいだという。

これが死に臨んで生還できた人間にほぼ共通した経験である。

救急医療が進んで、死にかかった人間が蘇生できる機会が増えた現在、医学的には、以上のような経験は、人間が不安なく死ねるための脳の最後のプログラムだと考えられている。

では、死の向こう側に、生前の自分が知りえなかった人物がいた場合はどう説明するのか。
生きている間に知っていた人物なら、その人が先に亡くなっていて、迎えにきたと感じてもそれは夢や妄想の産物、または薬物によるせん妄だと考えられても仕方がない。

ところが、自身で臨死体験を経験した、ある脳科学者は、あちら側の世界で親しげな風情の見知らぬ女性が迎えてくれるビジョンを見て、生還後に調べたところ、自分が臨死を経験するまでには知りえなかった実の姉だとわかった。

死にかかった脳科学者が見た女性はすでに死んだ人である。
知っている女性に出会ったのなら夢の中の出来事かもしれない。 ところが生きている間には知らなくて、蘇生してはじめてその女性が実在の人物だったと判ったのだから、その女性は脳科学者がつくりだした夢の産物ではなく、死後の世界だけにしか存在しえない人物だということになる。

 

立花 隆 シリーズ臨死体験「死ぬとき心はどうなるのか。」


 以下は2015年3月25日放送のNHKテレビのドキュメントから

生後一ヶ月の赤ちゃん、ジャクソンパワーズくんはインフルエンザで肺に穴があき、集中治療を受けて、およそ4ヵ月後に回復した。
入院していたのは 生後一ヶ月から5ヶ月の間であり、まだ死の概念もなく、言葉も理解していないから、生死の境をさまよったとの認識はないはずだが、2歳になったころからその経験を話し始めたという。

「ぼくは死んだ、そこには神様がいた」

心臓カテーテルの手術中、昏睡状態にあったジャクソンくんは、自分を手術している医師の姿を空中から見ていたという。彼の話したことは事実と一致しているらしい。つまりは霊魂離脱現象。

母親は手術のあいだ外に出されていた。
だがジャクソンくんのベッドの傍らには、ずっと付き添ってくれた女性がいたという。その女性は自分のことをクリーミーと名乗ったという。
ジャクソンくんはおばあちゃんだとは言わなかった。だが、母親によると、クリーミーはジャクソンくんが生まれる10年も前の2002年に亡くなった彼の祖母である。
ジャクソンくんはもちろん彼女が生きている間に会ったことはない。昏睡状態で生死の間をさ迷っているときに初めて出会ったのだ。

生後一ヶ月の赤ちゃんだから、自分にクリーミーという祖母がいたなどという情報は持っていない。 クリーミーの写真を見てはじめて、自分が死にかかっているときに会った人だと確認したのである。


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見えない階層からのメッセージ

 

   私自身の出来事である。

30歳になった頃の出来事だ。当時は佐伯市に住んでいて、自宅から100Kmほど離れた日田市の採石場に出かける用事があった。早朝5時の出発である。

起床した瞬間から虫の知らせがあって、自分が交通事故に遭うことがわかった。あまりに強い予感だったので、家族に今日は無事に帰ってこれないかも知れないと伝えた。水杯でもしようかと考えたほどだ。

空いた国道を快調に走っているうちに、運転に気を取られたのか、いったんは不安感も落ちついてきた。だが、玖珠町あたりに近づくにしたがって次第に事故の予感が強くなり、ひどい胸騒ぎがしてきた。
心臓がバクバクする感じでいても立ってもいられない。なにかが起こる。恐ろしくリアルな予感に胸が締めつけられる。

スピードは70Km/くらいだったと思う。恐怖が最高潮に達してアクセルを緩めたとき、左側の脇道からゆっくりと乗用車が出てくるのが見えた。一旦停車してこちらを見ている。女性ドライバーである。通過するのを待ってくれていると思った。

ところが減速しながら通り抜けようとした瞬間、急発進して道路の中央まで飛び出してきた。反対車線の歩道まで避けて危うく事故は免れたが、これが予知されたものだと直感できた。

交通事故には実体がない。ただ物質と物質がぶつかる現象であって、テレパシーのように送り手がいるものではない。では、だれがこの警告を発してくれたのか?

 考えられるのは、
時間の幅を超えたビジョンを持つだれかが、この現実の世界とは違う階層にいて、私を救ってくれた可能性である。
たとえば神さまであり、ご先祖さまといった、その実在が証明されていない世界からのメッセージ。

私の妻は、道を歩いていて、目の前の歩いている他人が交通事故に遭うビジョンが見えたという。それは5分後に現実になった。妻には事故を防ぐことができなかった。

だれかが事故の発生を知っていて、見知らぬ他人である妻に情報を送ってくれたのか。
それとも、時間の流れが前後して、未来の出来事が見えてしまったのか。はたして時間は人間が事故にあう直前に都合よく前後するのか。そもそも時間は前後するのか。

 私の伯父さんは満州で捕虜になっていたとき、日本にいる母親が亡くなって野辺を送られる夢をみた。復員してから確認したところ、日時からシーンの細部にわたるまで事実と合致していたという。
一番、情報を送ってくれる可能性のある母親は亡くなっている。
では誰が伯父さんに知らせてくれたのか。その誰かは葬送の光景を俯瞰して、満州まで知らせる能力を持っていたのか。
それは生きている人間か。死んだ母親の霊魂がまだその場にさ迷っていたのか。それとも空から見ていた神さまか。いったい神さまはなぜそんなサービスをしてくれるのか。

 考えてもきりがない。

このような予知の事例は昔からあって、多くの人たちが納得できる理由を探してきた。でも誰も解決できなかった。せいぜいが、神さまをでっち上げたくらいのことである。
予知とは不思議な現象だ。自分自身には絶対の確信をもたらしてくれるけど、それを証拠付きで外部に納得させることは難しい。

いつ どこで何時に事故があると公言して、それが的中しないかぎり信じてはもらえない。的中したからといって、再現性がないから科学には馴染まない。発生頻度のきわめて低い気まぐれのプレゼントであり、永遠のブラックボックスなのである。

 

つまらないオマケ

 

 仏像には僧侶たちの意識が集中する。それはキリスト教でも同じである。死んで見えない階層にいったキリストには、世界中から途切れることない思念のエネルギーが与えられ続ける。 だから彼はまだ生きている。
これは人々の心の中に生き続けるといったサギ的な話ではない。超心理学的な、世界の重層性についての話である。

杉尾博士が佐伯に来たときのことだ。真新しい畳敷きの和室に泊まった。

「昨夜、キリストが現われてね。ほらそこ、きみの座っているそこに出てきたんだ」
トンデモなことを言い出したのである。

「キリストは、あちこちの宗教画に描かれているような痩せた細面の男じゃない。赤銅色の肌をした筋肉男だ。背はあまり高くなくってガッシリしている。
和服みたいに前で合わせる着物を着て、ヨコになってしゃべるんだよ。寝そべって話すのが当時のマナーだったみたいだね」

杉尾先生は植物学と心理学の博士で、俳優の大泉晃に似た風貌をしている。(だからちょっと怪しい感じがする)。
もと戦闘機 隼のパイロットで2回墜落した。 小学生の娘さんを亡くして 、悲しみの中で悟りを開いてから、見えない世界と行き来ができるようになった。それ以来、宗教とは何かを研究している。

つい最近(2014年11月)になって、キリストがこんな男だったという復元写真がニュースで流れた。新聞に載った彼は、たしかに赤銅色のガッシリした男である。
キリストの復元像に関しては2001年にもイギリスBBCが発表している。これも浅黒くガッシリした中東の男性だった。

杉尾先生がキリストに会ったのは30年も前のことだ。
当時、研究者の間で、キリストの実像は知られていたのだろうか。もしそれまでに杉尾先生に知る機会がなかったとすると、これはでっち上げのヨタ話ではなく、本当にキリストに会った証明になるかも知れない。

 

 

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