易 占 の 道 具

易占には専用の道具がいくつか必要です。重要度の順に、

 1・筮竹
正式には蓍策(しさく)と呼ぶ。古くはメドギという植物の一株から数十本も生える細い茎を使用していた。同じ太さ長さのもの50本を用いる。
周の時代には「天子九尺、諸侯七尺、大夫五尺」と云われていたほどで、長い方が上等とされているが、これはたぶん見栄えと希少性の問題だろう。現代の一尺は、かね尺で30.3cm くじら尺で37.9cmに相当する。周時代の一尺は19.9cmだった。換算すると天子は180pもの蓍策を用いたことになるが、現代では30pから45pのスス竹が一般的である。高級品で一万円程度。とりあえずはザルソバか巻き寿司用の簀をといて代用できる。ヤキトリの串関係は短いうえに尖っているので使いづらい。

2・算木
筮竹でだした陰陽の爻卦を記録したり、展開して判断材料にするのに用いる。長さ7pから12pの木製角棒6本で一組になる。略筮では一組だけあればいいが、本筮易では大小を取り混ぜて5組が必要。一組が数千円から数万円と高価なので、ぜひ自作をお勧めしたい。太さ1p程の太さの角材を入手して適当な長さに切断するだけだ。杉材は細工が容易だが、軽すぎるので桜か樫などが望ましい。ナイフで切り込みを入れて陰陽の目印にしてもいいし、ペイントで塗り分けてもいい。とりあえずは厚紙とマジックで代用品が作れるが、面倒なら卦をだすたびに紙にメモしていけば済むし、そのほうが理解しやすくもある。

 3・筮筒
筮竹を立てておく筒。「とく」ともいう。クラシカルな箸立てをイメージするとよい。木製でも竹筒でもいいが、プラスチック製は重量感が不足していて気になる。価格は木製で一万円程度。もちろんなくても可。

 4・けろく器
筮竹を置くための枕ようのもの。2分割にするためのものを「ろく」という。指のまたという意味である。3分割用を「けい」といい、向かって右から一刻・二刻・三刻と呼ぶ。箸置きを使ってもいいが、なくても用は足りる。すべからく、道具はあるにこしたことはないという程度で、あればプロっぽくて見栄えはいいが、重要なのは判断の内容である。筮竹かその代用品さえ50本が揃えばすぐにでも始められる。

 


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ハンディ羅経盤

占いや迷信の中には合理的な説明がつくものがあるが、なぜ易があたるのかは、いまだに不明のままである。
代表的な説明のひとつに、答えとなるべき卦を無意識に選んでしまうのだ、といった解釈がある。しかしそれには易の卦を熟知したうえで、その本数の筮竹を捌きだす必要があり、マリックさんよりも高等なテクニックが要求される。サイコロならまだしも、本筮では不可能なことだ。
量子論的な仮説も提案されているが、物理学で易の構造を説明することはできない。
自然界には、1:電磁力 2:重力 3:原子核を結びつける強い力 4:中性子が崩壊するときの弱い力、の4種だけしか存在しないからだ。もちろん心理学や物理学で説明できる超常現象もある。幽霊や憑依など人にまつわる神秘現象の多くは深層心理学が解決してしまった。

しかし、易の得意分野である「予知」は時間の概念を超えたところにあって、いまだ物理学どころか超心理学でも実験心理学でも満足できる説明が得られてない。たぶんいつまでたっても答えは得られないだろう。

このHPの管理人個人の出来事である。
もう10年も前のことだが、100Kmほど離れた場所に出かける用事があった。早朝5時の出発だ。起床した瞬間から虫の知らせがあって、自分が交通事故に遭うことがわかった。あまりに強い予感だったので、家族に今日は無事に帰ってこれないかも知れないと伝えた。水杯でもしようかと考えたほどだ。

空いた国道を快調に走っているうちに、いったんは不安感も落ちついてきた。が、ある町に近づくにしたがって急激に事故の予感が強くなり、ひどい胸騒ぎがしてきた。スピードは70Km/h前後だったろうか。恐怖が最高潮に達してブレーキを踏む寸前、左側の脇道からゆっくりと乗用車が出てくるのが見えた。一旦停車してこちらを見ている。女性ドライバーである。通過するのを待ってくれていると思った。
ところが通り抜けようとした瞬間、急発進して道路に飛び出してきたのだ。反対車線の歩道まで避けて危うく事故は免れたが、これが予知されたものだと直感できた。

見えないカーブの向こうに車が来ているのがわかる人がいる。普通の人が知覚できないレベルのエンジン音や、スパークからの電磁ノイズを感知できるからだ。意識上は音として聞こえてなくても、実際には聞こえない音が耳まで達している。情報は無意識下で処理され、顕在意識に「五感での根拠があやふやな情報」として提供される。
しかし、事故そのものにはそういった情報をだす実体がありえない。この警戒情報を数時間も前から発してくれたものの正体は不明だ。神様や守護霊の存在さえ認めれば済むことだが、それでは短絡的にすぎる。予知の論理的な解明はまだ先のことになるだろう。

「時間」とは瞬間瞬間に過ぎ去っていく厚みのないもののはずだが、幅があると考えたほうが判りやすい場合がある。たとえば音楽は一瞬で切り取ると、まったく意味をなさない雑音にすぎないが、脳は短期記憶を利用してこれを秩序のある情報に変換する。一瞬の連続である音も、一定の幅があれば文脈として理解することができる。
本当は、時間は流れていない。時間という感覚を作り出すのは地球の自転ではなくて、それを見る側の人間である。地球は無生物だから感覚を持てない。時間という概念を持つものがいなければ、時間は存在しないのではないか。もし人間がこの世から消えてしまったとして、ほかの動物たちが「時間」という概念をもっていなければ時間は存在しないことになる。
いくら四季が巡ろうと、それを感じるものがいなければ季節はない。時間は人間だけが使う。時間という概念を使う人間が、時間を作りだしているのであり、人がいなければ時間も存在しえない。人間の都合でその概念は割りつけられ、人間の都合のいいように理解される。人間が勝手に作って勝手に理論つけているわけだから、あちこちから矛盾がほころびて出てくるのは当然である。一瞬一瞬流れていくという常識さえ怪しいのだ。