解禁日の釣り - 2002年 - 屈強ヤマメ列伝
津留川


 釣り人たちが保護しているため、情報がマスコミに流れないその川で、同宿の釣り客が33cmと37cmの大型ヤマメを釣りあげた。この川では漁協による義務放流以外に、釣り人による原種ヤマメの自主放流も行われている。そのグループの釣師が、今朝がた40cm超という驚くべき大物に糸を切られたのだという。バックウォーターや広い本流ならまだしも、源流域に40cmがいることは極めてまれである。

 民宿のお風呂でいっしょになった、その釣師に教えて貰ったポイントに、お昼ころになって竿をだした。
静かに近づき、トロ場の深みにエサを流して、少し送り込んで待つと突然 猛烈な重さの引きがあった。見たこともない大きな魚体だ。40cm超は間違いないっ!竿を寝かせて、いったんは水深10cmほどの浅瀬まで引き寄せた。
もらった!と思った。しかしヤツはそこから閃光のような素早さで下流へと奔る。竿を立てて耐えると「つ」の字に曲った竿先の、天井糸から道糸がスルリと抜けるのが見えた。スローモーションのようにはっきりと見た。あまりの荷重にクリンチノットがほどけたのだ。
 狙った大物は見ている前で逃げてしまった。3.5mの糸はサカナについたままである。目印さえ見つけることができればなんとか取り込めるだろう、目を凝らして探すが糸は見つからない。ふと気がつくと、目前4mほどで深みを悠々とおよぐ姿が見えた。なんとかしようと目の前にエサを送るが反応してくれない。しつこく鼻先にエサを流し続けたが、いくらたっても喰いつくことはなかった。

 その数日後、やはり一人の釣師がこのポイントに竿を出して糸を切られたと聞いた。分かっているだけで3人の釣師がこの大物に翻弄されたわけである。口の周りに3つの鈎の跡を持つ大ヤマメはまだそのポイントに残っている。
 翌週末、仕掛けを強化して再度200Kmを走り、標高1000mの山峪に出かけた。まだ明るいうちに到着して、夕マズメの短い時間を狙った。しかしポイントの周辺を暗くなるまで攻めたが、いつまでたってもアタリはない。日が暮れてからも粘った。そこにいるのは分かっているのだ。川だから逃げ場はない。
 でも釣れない。あまりの寒さに体が冷え切ったので、ようやく見切りをつけて宿へと戻り 風呂に入った。手がかじかんでお湯の温度がわからない。身を沈めて一瞬ののち、その風呂が猛烈な熱さだと気がついて湯船から飛びでた。しばらく湯を冷ましてやっとゆっくりと体を浸したが、手足にはいつまでも痺れたような感覚が残った。

 翌朝のまだ暗いうちから起きだして朝マズメのチャンスにかけた。でも、ここで失敗をやらかした。あまりの寒さにエサの川ムシが凍ってしまったのだ。指先に摘むと柔らかくなって、なんとか鈎に通すことはできたが、振り込んだ糸を上げると、今度は毛糸の目印が竿に張り付いてしまった。
 鈎につけた川ムシは岩の上に置くと、一瞬で凍りついて砕け散った。
 日が射すまで、日が射してからの都合2時間、あちらこちらのポイントを探ったものの、結局アタリはなかった。すべてのエゴ、岩の下にエサを送り、誘い尽くしたのだ。ついにあきらめて宿へ戻り、しばらくコタツで暖をとってから朝食をたべた。

 つまり こういうことだ。

 自称ベテラン釣師を手玉にとった屈強の大ヤマメは、目前で悠々と遊弋していつでも勝負に応じる態度だった。そのチャレンジングな姿勢を真に受けたワシは勇んでリベンジに出かけた。40cmのヤマメが確実にいる場所など、一生にそう何度も出会えるわけではないからだ。
しかし、あいにくその日は寒かった。それで大ヤマメはコタツの中にこもったまま居留守を使ったのである。釣師は勝負すらして貰えなかった。実力に差がありすぎたのだ。

「あのヤマメにはまだ鈎が残っている。その鈎には目印つきの長いハリスがついたままだ」
「ヤツは口から糸を垂らしながら、あの川を泳いでいる」

あのとき、最初に引き寄せたとき、無理をせずに竿を緩めてやるべきだったのか・・
竿を立てすぎたのか?寝かせて方向性を奪ったほうがよかったのか・・・・
耐えずに、川に走りこむべきだったのか・・・
すべては経験不足の一言につきること。いつまでも悔しさが残った。

 


う〜ん、文学だねえ。じゃTOPページに戻るよ
2003年の解禁日