究極の易学 「梅花心易」

 

易学について勉強していくと、学理的にはひとつでも方法論的にはいくつかの種類があって、行きつく先は梅花心易にあることに気がつかされる。梅花心易とは、筮竹を使わずに事象から得た数字を陰陽の卦に置き換えて占うものだ。この占法を会得すると、いっさいの道具を用いることなく、たとえば今日わが家を訪ねてくるのは誰なのか知ることができる。

空を飛ぶカラスの鳴き声を聞いて、隣町で米を積んだ荷車が転倒したことを知ったなんて話はよく聞く。もしそれが事実なら、まさに「世界はひとつですべては関連づけられている」とする易学の奥義であり神髄である。ファンタジーの分野にまで踏み込んだ奇跡を感じるので、さわりを紹介させていただく。
 (以下、三密堂書店刊 薮田曜山著「訳注梅花心易」から当HP管理人が一部を抜粋して現代語に訳した)

宋の慶暦年間(1041〜1048年) 邵康節先生は山林に隠遁し、易の研究に余念がなかった。
後には宋一代の大学者となる先生だが、この時分は冬にも暖をとることなく、ただただ易の研究に熱中していた。易書をバラバラにほぐして壁に貼りつけ、寝ても覚めてもそれをにらんで考を練っていたのである。
ある日、あまりの勉強に疲れてまどろんでいるところへ、ネズミが数匹現れて枕元で騒ぎはじめた。仮眠を邪魔された先生は癇癪をおこして、陶製の枕をネズミに投げつけた。
陶枕は壊れ、ネズミは去った。
その枕の破片になにやら文字が書き付けてあるようだ。手にとって見ると「この枕の命数は卯年の四月十四日、巳の時(午前10時)に尽きる。鼠をみて破れる」とあった。
先生はこのようなモノにも命数があるのかと嘆息したが、それにしても誰がこの予言を書き付けておいたか、不思議でたまらない。

それを知りたいと、この陶枕を製造した工場へ尋ねて行った。
すると職人が出てきて言うのには、
「昔、ここへ一人の老人がやって来て、休息していったことがありました。その手には周易の本を持っておりました。枕の文字はそのときに書かれたものでしょう。それからずいぶんと年もたち、老人も来なくなりましたが、幸いなことに私はこの老人の住居を知っておりますから、行ってごらんになりませんか」

そこで邵先生はその老人の住居におもむいた。
家人が出てきて、
「お捜しの老人は先年亡くなりましたが、遺書が一冊ありまして、その老人から、これこれの年月日に一人の秀才がわが家へお越しになるからこの書物を差し上げてくれ、その方こそがわが身の面倒を厚く看てくれる人であるから。と申し伝えられております」と言った。
先生がその書を受け取ってみたところ、すなわち易書であった。
そこで早速、その書に説く方法で占ったところ、この家の下には白銀が埋めてある、それはこの老人を弔う金である、ということであった。すぐさま発掘してみたら果たして白金が埋まっていた。

先生がその易書を持って帰り研究したところ、卜筮を用いずに吉凶の理を知り得る妙法であった。これを試みて霊験あらずということなく、まさに易数精微の極致とも云うべきものであった。
その後、先生が梅を観ておられたとき、二羽の雀が枝を争う変事があり、これによって占ったところ、翌日の夕方に隣家の娘が梅の枝を折ろうとして樹から落ち、股を傷つけることが分かった。
先生の占法を後世「梅花心易」と呼ぶのはこの占例から名付けられたのである。
牡丹の花がいつ落花するかを占って、翌日午の刻に馬に踏みにじられることを知り、また老人の心配顔を見て占い、魚毒にあたることを予知したりということが幾らもあった。

ある日、邵先生は一脚の椅子を新調された。その年月日時によって占い、椅子の底裏に「これこれの年月日にこの椅子は仙人に壊される」と書き付けておいた。
その日になって一人の道士の来訪があり、その椅子に着座したところ、どうした拍子か椅子を壊してしまった。道士は赤面して詫びたが、先生は「物が毀れるというのもみな運命で、前もって定まっていることです。ご心配には及びません。あなたは真の神仙でいらっしゃいますから申し上げますが、実はこのとおりでございます」と言って椅子の底を見せた。道士は驚愕して走り去ったという。

易学の先達の一人、邵康節という実在した人物の逸話である。百源山上で研鑽を重ねたときには冬にも暖をとらず、夏にも扇がずといった生活だったと伝えられる。一日一食のみで、夜も寝床で寝たことがないほどの精進ぶりだったという。天地万物の理を推見し、直感的に未来のことを予知できたことが、多くの信頼できる証拠とともに残されているらしい。
およそ易について勉強した人なら、本筮易の真勢中州を知らない人はいないし、この梅花心易の逸話を知らない者もいない。ここまで到達するにはよほどの天分が必要かと思われるが、普通の人間は、円蓍(えんし)法とも擲銭法とも呼ばれる占法が役に立ってくれる。筮竹がなくても硬貨3枚があれば立筮できるのだ。
易には、瞬間的に半催眠状態になれることと、人間知に裏付けされた洞察力が重要なのであって、道具のあるなしとは関係がない。

手持ちの同種のコイン3枚を水で洗い浄め、静かで落ち着ける場所で精神統一する。
雑念が晴れたら、知りたいことを頭のなかで念じながら、硬貨を両掌の中で振ってよく混ぜる。無心になれるまで振りつづけ、大きく息を吐きながらフワリと瞑想状態に入る。
頭の中が空になったところで一枚づつ手前からおとしていく。表面をとし、裏面をとして、そのまま爻卦に当てはめていく。これを6回繰り返して卦を得たら、本筮易の方法で展開する。たったこれだけのことで小さな奇跡を経験できる。

 

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