瞑想ができるようになると、あと少しの練習でオーラが視れるようになります。
オーラ視というと、アブナイ世界の現象で、自分にはとても無理だと思われるでしょうが
実際には誰でも見ることができます。必要なのはじっと一点を見つめ続ける集中力だけです。


オ ー ラ を 見 る 方 法


瞑想がうまくできると、脳味噌がジュンッと縮むような感覚が得られる。脳の体積が3〜5%ほど小さくなる感じだ。このときに肉眼の位置が、両方のこめかみをつないだ線上、目と耳の中間あたりに移動する感覚があればパーフェクトである。完全な瞑想状態に入ると、肉眼と第三の眼が一体になったような感覚がある。
このまま、意識を乱さないようにゆっくりと眼を開ける。オーラ視にはいつもの肉眼視とは異なるシステムを使うのだ。レンズとしての眼球は使うが、眼球からの仮想神経をつなぐ先は、肉眼の後方に発生した第三の眼だから、肉眼に気持ちを奪われないことが肝心になる。

眼といえば1対2個が常識だが、昆虫には複眼のほかに単眼をもつものがいる。この単眼の水晶体を移動させてピント合わせができるものさえいるという。ある種のクモには背中に光を感じる器官があるし、1996年には横浜市立大学で、オスの蝶のおしりの先に受光器があることが確認された。これはメスの生殖器の位置を探るのに使うとのことだ。
ニュージーランドに棲むムカシトカゲなど、原始的な爬虫類の頭頂部には光に敏感な第三の眼(顱頂眼)が残存している。半透明の皮膚に覆われた頭骨のくぼみにはレンズ組織があって、その下の受光部からの神経は頭骨を通って脳までつながっている。
外部からは見えないが、多くの種類の鳥や魚の頭頂部にも光を感じる組織があり、眼球を摘出しても光に応答することが確認されている。この第三の目は、三次元的にものを立体視するために両眼を補助する器官なのだが、生物としてはかなりルートの深い組織のようで、いくつかの種類の小哺乳類にまでおよんでいる。
人の額のすぐうしろ、両視床の中央下部にある松果体は、発生学的にはこの第三の眼から進化したもので、ちょうどヒンズーでいう「悟りの眼」のあたりに位置している。直径4ミリ長さ7ミリ重さわずか120ミリグラムのこの器官はバイオリズムの中枢である。月や太陽からの磁気を感知して、生殖活動や睡眠時間など季節ごとの生理リズムを調整してくれるのだが、この松果体はまたセロトニンというホルモンの分泌器官でもある。
セロトニンはLSD25によく似た構造をしていて、脳内での濃度が知覚や認識に大きな影響をあたえることが知られている。自然界では、菩提樹の黄色い花にもっとも多く含まれているとのことだ。(日本の普通の菩提樹とは別種)ブッダがなぜこの樹の下で悟りを開いたか、理由がわかるような気がする。
セロトニンが不足すると攻撃的な行動を引き起こす。サルの実験ではセロトニンが不足すると仲間に咬みついたり殺したりする行動が見られる。また殺人犯の脊髄液中のセロトニン濃度は常人よりも低い傾向が確認されている。夕方になるとバイオリズムによって分泌量が減り、精神状態が不安定になる。自殺と自殺未遂事件の多くが、午後5時から7時に集中しているのはこのためだ。

視覚的な現象を体験するには景色が邪魔になるので、カーテンを引いて室内を薄暗くしておく。蛍光灯は見えるものの色に影響を与えるので避けたほうがいい。グリーンがかった発色はオーラの色と似ているし、ストロボ的な光のチラツキで、オーラとは別の視覚現象を見るおそれもある。電磁ノイズの質もわるい。この意味では高圧線からも離れたほうがいいし、TVの電源も切っておくにこしたことはない。
半眼で意識を鎮静させたまま神経を集中させていく。決して肉眼のピントを合わせてはいけない。遠くをみるように眼のちからを抜いて、自分の指先に全神経を集中していると、そのうち指の形にそって白っぽいモヤのようなものが見えてくる。もし手を動かして、それがもとの位置に残って見えるようならオーラではない。指の肌色と補色関係にある薄緑色なら残像の可能性もある。もう少し時間をかければ、密度の高い湯気のようなものが見えてくるはずだ。

進展しないようなら催眠術の方法を試してみる。ペンライトを用意して10センチくらいの距離から眼にあてる。数秒も見つめて眼を閉じると残像がみえるはずだ。この残像を見つめ続けることで、視神経系のセンシビリティを上げていく。仙道でもロウソクの残像の中に、ビジョンをだす修行をしているようなので、普遍的な効果が期待できる。
西洋の占師たちが水晶球を用いるのも同じ理由からだろう。もっとも、クリスタルガラス製を使っているようでは演出効果重視のそしりは免れない。天然水晶球もガラス玉も見た目は似ているが、その性質はまったく別次元のものだ。水晶は発振器にも使われるほど特殊な電気特性をもっているし、光の屈折作用も普通ではない。この光学特性が重要なのである。

食用油の品質検査にはフォトンの発生量をチェックする。油は酸化しながら光を発生しているのである。1993年には回復中の人体の傷からのフォトンが確認された。人体もまた微弱な光を発している。TV番組によると、気功士の手先や眼球からも大量の(目に見えるほどではないが)フォトンが検出されたという。オーラの強さは体の部位によって違う。手や目からの発生量が多いことから、人体から発生するフォトンそのもの。またはフォトンが空気中のなにかと衝突しておこる物理現象なのかもしれない。
しかし、いろいろと試してみたが、紫外線や近赤外線を発生している物体を見てもオーラは出ていないし、体温や水蒸気とも関係ないようだ。
人体からは熱(近赤外線)・光子・音波・水蒸気・ガス・匂い・引力・静電気・脳波・筋肉からの電磁波などさまざまな情報が漏れだしている。これらとオーラとの関係はまだよくわかっていないが、超能力とされる現象のいくつかには関与していると考えられる。物理現象である以上、距離に制限があるのは当然としても「背後からの視線を感じる」といった近距離での不思議な現象には説明がつけられるだろう。

オーラを見るために視覚の感度をチューニングするには、あたりを暗くしてなるべく黒い無地の背景を選ぶ。手の位置から背景まではできるだけ離したほうがいい。
指先から緑色がかった灰白色の光がでているのが見えたら、オーラ視の第一段階はクリアできたことになる。最初はとても小さな竜巻のように見えるだろう。カゲロウのような、長いモヤが指先から出ているのが見えだしたら、両手の指先を向かい合わせて動かしてみる。両方の指先からでているオーラが、つながったまま動くのが見えるはずだ。20センチくらいまで離してもつながりは切れない。
ここまで見えだしたら、あとは回数を重ねるごとにはっきりと見えるようになる。
少しの集中で見えだすようになれば、それは催眠に入るパスが完成したということだ。本当は人の体は、1メートルもの厚さのオーラに包まれていることがわかったり、仏像の背中の飾り(華蓋)がなにをあらしているのか、実感できるのにそれほど時間はかからない。


オーラ視の練習と並行して、ビジョンをみる方向に瞑想を持っていくこともできる。
はじめから眠るくらいのつもりで目を閉じていると、まぶたの内側に映像が出現することがある。たぶん最初のうちは、紅葉が敷きつめられたような模様や、バザベリのデザイン画のような幾何学的なパターンを見ることになるだろう。透過光のように派手な色彩が変化するうえに、映画のような動きもあってなかなかの見ものだ。イメージの産物だけに、人間わざを超越した精密な芸術を見ることができる。
これも経験をつむと、自分の意志で見たい画像をつくれるようになる。管理人自身はまだ10分くらいしか自由にコントロールできないが、イメージの中でセクシーな美女を動かして遊んでいる。素肌のディティールを再現するのが少し難しい。たぶんこれも自覚夢の一種なのだろう。幻視の一歩手前の段階である。



TOPに戻る

通常、気は透明で周囲との境目がない球体のように、または軟らかで薄いゴム袋に入った気体のように感じられる。引きつけ反発する力をもった磁力のように、ときとして無垢な意思を持つエネルギー体のようにも感じられる。まれに光のイメージをともなうこともある。

このことに触れられている書物がないようなので、普遍的な現象なのかどうかは不明なのだが、最終段階で得られる本当の「気」とは、決してそんなにあやふやなものではない。ある日突然あらわれる究極の気の強さは、なにか装置さえあれば測定可能に思えるほどだ。実際にこの気を体験した人で、2万ボルトと表現した人がいる。2万ボルトというとスパークが跳ぶほどの電圧なので、ちょっとオーバーな気もするが、少なくとも低周波肩こり治療器くらいの強さはある。ただし、この気が他人の病気の治療に使えるかどうかは不明だ。発生頻度が低すぎて証明が困難だし、長時間発生させるエネルギーは、見知らぬ他人のために使いたくないほど消耗する。

いつものレベルの瞑想に入って、そろそろ終わりにしようかと思っていたころ、
頭の中の空間をビュンビュンと飛びまわっていた、気のカタマリが気まぐれを起こしたようだ。首のうしろ、第六頸椎のあたりから、強烈な電気パルスになって発生しだした。
小判型をしたパルスが次から次へと連続発生して、あたりに強力なエネルギーを放出しつつ、まるで意思があるかのように肩から腕へと体表を移動していく。左右対称に秒速5センチほどの速さで、一列に、くっつくほどの密度で移動して、手先に集まった気は蓄えられてビンビンと強くなる。両腕は電気で痺れたようになって、そのエネルギーの反発力に支えられて宙に浮き、体全体が燃えあがるような、巨大なオーラの炎につつまれた。
鏡の前で両腕を深呼吸のように動かすと、ストロボのように10本ほどの残像が見えて、数対の腕をもつインドのシバ神のビジョンが私に重なった。発生するエネルギーの強さは、触れるものすべてを融かしてしまいそうに思えた。